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「こんにちわ撲滅委員会」撲滅委員会

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2006年 07月 31日

疑似科学と物語

疑似科学についてもう少し考えてみたい。
前回は、疑似科学がどうとかいう以前に、世界観が薄っぺらなお話の例を取り上げた。今回は、じゃあ政策的にも倫理的にも正しい話に疑似科学が利用されたとしたら、それはどう考えるべきなのか、という問題について考察してみたい。
そこで思い出したのが、ちょっと前に読んだ、ある禁煙教育の記事なんだけれども、どうにも元記事がどこにも見つからないので、細かいところは記憶が間違っているかもしれませんが、まあ、ひとつの例としてあげるだけのでご了承ください。
で、その禁煙教育の内容というのはどういうものかというと、子供たちの前でダンゴムシにタバコの吸殻を食わせるという実験をしてみせるもので、タバコの吸殻を食べたダンゴムシはコロッといっちまう。それを見せた上で子供たちに「やっぱりタバコは体に悪いんですね」という風に教えるというものだ。
ところが、ここにはごまかしがある。ダンゴムシがタバコの吸殻を食べて死ぬというのは事実だが、「ダンゴムシにとってタバコの吸殻が毒だから人間にとってタバコを吸うことが体に悪い」というのは、合理的な推論とはいえない。人間はダンゴムシではないし、喫煙者はタバコの吸殻を食べない。
そもそも嫌煙権運動についてはいろいろ言いたいことがある。嫌煙権運動家の多くは、その言動を見ていると、他人の趣味を貶めることによって優越感を得たいというさもしい根性が動機となって、その運動を行っているように見える。このあたりの動機は「こんにちわ撲滅委員会」とそっくりだ。これについてはあとで別の記事で取り上げるかもしれないが、今回の話題とは直接関係ないので、やめておくことにする。
もちろん、禁煙教育そのものについては文句をつけるつもりない。私自身もタバコを吸わないし、煙たい思いをしているほうだから。現実にタバコが原因で健康を害している人が多いわけだし、多くの人がタバコを吸いはじめたことを後悔しているという現状を考えれば、タバコを吸い始めるまえにタバコについての確かな情報を教えるというのは大事なことだと思う。いうまでもないことだが、それを知った上で、どうしても吸いたいというのは個人の自由だ。
ここでは、前提として禁煙運動は政策的にも倫理的にも正しいということにしよう。問題は、もし正しいとしても、それが疑似科学(敢えて疑似科学と呼ばせてもらいます)を利用して主張されることを見過ごしてもいいのだろうか?
いろいろ意見はあると思うが私はよくないと思う。もしかしたら私は疑似科学に過敏になっているのかもしれない。
私はこのような疑似科学を利用した教育がよくないと思うのは、それが「本当に面白い話」を隠してしまうと思っているからだ。
ひとまずタバコが体に悪いかどうかという話はおいておいて、なぜタバコの葉にニコチンなる物質が含まれているのか考えてみると、おそらくは虫に食べられないように毒物としてニコチンを作っているからだろう。実際にニコチンは殺虫剤としても使われているという。ニコチンを作ることはタバコにとっては面倒なことだろうが、食われるよりはましだ。進化の過程でそのような性質が備わってきたのだろう。
ところが面白いことに、このタバコの葉をバリバリ食べてしまう虫がいるという。その名もタバコガ。そのままの名前です。この虫にとってもニコチンの毒を無効にするというのは、それなりのコストがかかる適応だと思うが、そのおかげで誰も食べないタバコという大きな資源を独り占めにすることができるのだ。このタバコガがタバコの葉を食っているところは子供には見せられませんね。
他にもこのように毒性の物質を生産して、昆虫や鳥から自分を守っている植物というのは多い。それらの多くは人間にとっても毒だが、まれに人間にとっても有用なものになる場合がある。人間にとってはほどよいスパイスも、タバコなどの嗜好品も、その多くは昆虫にとっては毒なんだろう。そして多くの薬用植物もそうなのかもしれない。
人間によるこれらの植物の利用は進化論的には適応ではない。人間がアフリカで現生人類にまで進化を遂げるあいだ、これらの「刺激的な植物」とは、ほとんど無縁でいたんだろう。人間が新しい世界に踏み出していく最前線で、これらの「刺激的な植物」をどんどん取り入れていった。「刺激的な植物」は同時に「エキゾティックな植物」ともいえる。長年かかって得た適応ではないがゆえに、ある種の植物はドラッグにもなるのだろう。
合理的な考え方を教えずに「虫にとってタバコは毒なんだから、人間にとっても毒」という例え話を教えるだけで終わってしまっては、本当に興味深い世界の不思議さから目をそらしてしまうことになるのではないだろうか。
<追記>
私は物語という装置を使って世の中をみることを否定したいわけではない。ダンゴムシを擬人化してタバコの害を語ることはよくないことだろう。しかし、それも使い方次第だと思うのだ。私が上にあげたタバコの適応の話にしても、「タバコが毒を造って身を守る」といったような擬人化した表現がある。もちろんタバコがそのような意図をもっているわけではない。しかし、そう考えることで理解する助けになることもある。

by torafuzuku | 2006-07-31 21:39 | ミーム、その他


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